読解練習:わたしが壊したのではないかという問い【Lv.15|番外編:親の視点】
1年前、子どもが学校に行けなくなった。
表向きは「ゆっくりでいい」と言いながら、私の中にはずっと焦りと罪悪感があった。
——私の育て方が悪かったのではないか。
——もっと早く気づけていれば、この子はこうならなかったのではないか。
それだけではない。
近所の人に会うのが怖くなった。
学校からのプリントに「ご家庭でのサポート」と書かれているのを読むたびに、自分が責められているような気がした。
子どもの問題なのに、私が悪いような気がして、でも、子どもにも申し訳なくて。
「うちの子はもう一人で出かけられるようになったよ」
そう聞くたびに、比べてはいけないと思いながら、心が締めつけられる。
何もしていないように見える自分、変わらないように見える子ども。
世間に説明できる言葉が、どこにも見つからない。
でも、ある晩、子どもが自分から「お母さん、これどう思う?」と聞いてきた。
自分で書いた詩だった。
「なにもしていないと思っていたけど、こんなふうに考えてたんだ」と気づかされた。
私が見ていたのは、“ちゃんとした姿”を他人に見せられるかどうかだったのかもしれない。
今でも、何かを間違えてしまったという思いは消えない。
でも、その詩を読んだ夜だけは、「この子の時間は、誰にも測れない」と思えた。
自分を責めることと、子どもと向き合うことは、同じではない。
それを、少しずつ学んでいるところだ。
◆ 問題
- 筆者は、どのような場面で「他人の目」を強く意識していますか?そのことでどんな影響を受けていますか?
- 「自分を責めること」と「向き合うこと」の違いについて、筆者はどのように考え始めていますか?
- 筆者の「焦り」や「比較の苦しさ」は、どこから生まれているとあなたは感じますか?
- あなたが筆者のように「見えない時間」の中にいるとしたら、どのような支えや視点を持ちたいと思いますか?
◆ ポイント
- 「子どもの不登校」に対して、親がどのように周囲からの視線と自己評価に揺れるかを読み取る。
- 「説明できる回復」ではなく、「見えない成長」にどう価値を見出せるかという問いを考える。
- 自己否定と向き合いながら、親として「問い続けること」がもつ意味を見出す読解。