第1章:なぜ「考えたことを言えない子」が増えているのか?
「どうしてそう思ったの?」「なんでこの答えにしたの?」
子どもにこう尋ねても、
「なんとなく」「よくわからない」「これでいいと思ったから」
としか返ってこない。そんな場面に出くわしたことはないでしょうか。
近年、「自分の考えを言葉にできない」「思考の過程を説明できない」子どもが増えてきたと感じる教育現場の声が相次いでいます。
この背景にあるのは、単なる“勉強不足”ではありません。
それよりも深刻なのは、「言葉を使って思考を整理する経験が決定的に不足している」ということです。
・見直しをしても、どこがどう間違ったのかわからない
・なぜそう解いたのか、なぜそう思ったのかを説明できない
・文章題の条件を読み落とし、何が問われているのかを見失う
こうした子どもは、必ずしも学力が低いわけではありません。むしろ、平均的な学力を持ちながらも、“説明力のなさ”が致命的な成長の壁となって立ちはだかっているのです。
第2章:「読み」「考え」「言う」力はどこで差がつくのか
読解力と聞くと、「国語の成績」と直結して考える人が多いかもしれません。
しかし、ここで言う読解力は、テストの点数では測れない“実用的な理解力”や“思考の運用力”を指します。
実はこの差は、小学校低学年からじわじわと広がっています。
違いを生む最大の要因は、「日常の会話の質」です。
- 「どうしてそう思うの?」と問い返される経験があるか
- 自分の意見を受け止め、深掘りしてくれる大人が身近にいるか
- 説明すること、言い換えることを求められてきたか
つまり、“書く力”以前に、“話す力”の訓練があるかどうかが、思考力と読解力の基盤になります。
小学生の時点で、言葉を使って考える力を育てられたか。
この差が、中学・高校に入ってからの「理解できる子」「できない子」の分かれ道になっているのです。
第3章:家庭の読解力が“思考の天井”を決めてしまう
子どもの読解力・思考力に最も大きな影響を与えるのは、学校ではありません。家庭です。
なぜなら、子どもが最も多く会話を交わす相手が親だからです。
しかし残念ながら、親自身の読解力や表現力が十分でない場合、子どもに対して次のような言語環境を作ってしまうことがあります:
- 命令や禁止が多く、理由を問わない(例:「早くしなさい!」「だから言ったでしょ!」)
- 感情で話すが、論理がない(例:「そんなの普通やろ」「みんなそうしてるんだよ」)
- 子どもの発言を遮り、説明を促さない(例:「うるさい、黙ってやれ」)
このような日常の積み重ねが、
子どもから「理由を考える習慣」「言葉で構造化する力」を奪ってしまうのです。
もちろん、ルールを守ることは必要なので、命令や禁止が必ずしもだめというわけではありません。自制心というものも必要ですが、そのようなものですら、読解力・国語力・言語化力によりはぐくまれるものです。
自分の気持ちを整理できないから癇癪を起し、暴走暴力に走るということです。もちろん、ネット上の誹謗中傷も同じです。自制するということは感情を言葉で整理することに他ならないのですから。
第4章:学力より怖い「話せない子」の将来リスク
学校のテストではある程度点が取れる。
しかし、
- 書類が読めない
- 指示が理解できない
- 間違いの説明ができない
という“対人機能・業務機能”においてつまずく子どもが増えています。
将来、社会に出たときに求められるのは、問題を読み解き、要点を整理し、自分の意見を述べる力です。
たとえAIや検索技術が発達しても、「読み・考え・伝える」は人間にしかできない領域であり、
これを身につけていないことは、学歴よりも重大なリスクになり得るのです。
第5章:親ができる“読解力・思考力”の育て方
では、親はどのように子どもの「読解・思考・表現」を育てればよいのでしょうか?
以下に年齢別の実践例を挙げます。
小学生期:対話の基本を整える
- 「なぜそう思うの?」と問い返す習慣
- 絵本や出来事の“内容説明”をさせる(起承転結)
- 「お母さん(お父さん)に教えて」と説明練習を促す
中学生期:言葉を構造化する訓練
- 自分の意見+理由+例の三部構成で話す練習
- 教科書の内容を「要約」させる
- “なんとなく”を禁止し、選択の根拠を問う
高校生期:文章による表現力を強化
- 日記やブログのような“考えを書く場”を持たせる
- 答えのある問題より、“問いを立てさせる”活動
- ニュースを見て「自分の立場で」意見を書く
どの段階においても、親の役割は「正解を教えること」ではありません。
“考える問いを投げかける”ことと、“言葉にする練習を見守る”ことです。
まとめ:子どもは親の語りから思考の型を学ぶ
「うちの子は、ちゃんと見直ししても気づけないんです」
「考えた理由が言えないんです」
それは子どもの特性ではなく、日常の言語環境が形作った思考の限界かもしれません。
子どもは、目に見えるような勉強法だけではなく、親の語り口や問いかけから、思考の型を学びます。
つまり、親の語り方=子どもの思考の設計図になるのです。
どんな問いを投げかけ、どんな返答を引き出すか。
子どもにとっての“言葉の世界の広さ”は、家庭での日々のやりとりで決まっていきます。
読解力や思考力は、努力や根性で身につくものではありません。
それ以前に、その力を育てる“環境”があったかどうかがすべてなのです。