【なぜ伝わらない?「8時10分前集合」問題が示す日本語力の分断】

世代間ギャップではなく、「誤読力」「発信力」の問題だ

 令和の若者世代を中心に、「8時の10分前に集合」と言ったのに、なぜか「8時8分」に来るという現象がSNSや報道で話題になっています。この問題を世代間ギャップと片付ける声もありますが、実はそうではありません。

 このケースは、言語のあいまいさと、それに対する認識力・想像力の格差を示しています。背景には、「伝える力」そして「誤読に気づく力」の不足があるのです。


曖昧な表現が招く、解釈のズレ

 「8時10分前に集合して」と聞いて、あなたは何時に集合するでしょうか?

  • 「8時 の 10分前」=7時50分
  • 「8時10分 の 前」=8時9分より前(=8時8分?)

 このように、日本語の表現には構文上の「揺れ」があり、どちらにも解釈できる余地が存在します。

 特に日本語では、「前」や「後」がどの単語にかかるのかが文脈に依存するため、聞き手の読み方によって意味が180度変わってしまうのです。


日本語は「誤読との戦い」である

たとえば、以下の文を見てください。

明日は誕生日なので、私は弟と母のプレゼントを買いに行くことにした。

これは一見、簡単な文章のようでいて、解釈に困る要素がいくつもあります。

  • 誕生日なのは誰か?
  • 買いに行くのは誰か?
  • プレゼントを渡すのは誰に?

母と弟が同じ誕生日なのか?
私が誕生日なのか?
母のプレゼントを弟と買いに行くのか?弟と母のプレゼントを買うのか?

このように、日本語という言語は文脈の依存度が高く、常に「誤読の危険」と隣り合わせなのです。

つまり、日本語で「正しく伝える」とは、いかに誤解されないかを設計することに等しい。


「察して感」は危険なコミュニケーション

今回の事例に対して、ある大学教授は「察して感」が失われた結果だと語っています。

しかしこれは、本質を見誤った非常に危うい見解です。

 相手が察してくれることを前提に話す人は、もはや伝える努力を放棄しています。

 現代のように、多様な人間が交わる社会、グローバル化が進む環境では、「いかに誤解されないか」を徹底して考慮することが求められます。

 赤の他人、異なる文化、異なる背景を持つ人と円滑に意思疎通を図るには、「察して」などという甘えは通用しません。


「伝わらないのは聞き手のせい」ではない

 問題は、曖昧な表現を無批判に使う発信者側にもあります。

 そもそも、一定水準の日本語能力を持つ人であれば、誤解を招くような言い回しは避けるか、補足説明を加えます。

  • 「8時の10分前、つまり7時50分に集合です」
  • 「8時50分集合でお願いします」
  • 「7時50分までに来てください」

 など、より明確な表現を使ってミスコミュニケーションを防ぎます。

 一方で、今回のような誤解が「起きてしまう」会話では、発信者も聞き手も、十分な水準に達していないと言わざるを得ません。

 聞き手を「説明不要のAIのような存在」だと誤認している人があまりに多いのです。


実践ポイント:誤解されない表現とは?

 では、実際にどうすれば「8時10分前問題」を防げるのでしょうか?以下は、現代の日本語教育でも推奨されるポイントです。

  • 具体的な時刻を使う:「10分前」ではなく「7時50分」「8時50分」と伝える
  • 数字と単位の前後関係を明確にする:「10分前の8時」ではなく「8時の10分前」
  • 相手に確認する:「8時の10分前って、7時50分で大丈夫だよね?」と聞く
  • 繰り返しを恐れない:「8時50分集合、念のためもう一度言います、8時50分です」

伝わることを最優先に考える。それが言語の本質です。


「世代間ギャップ」で済ませるな。これは能力の格差だ。

「若者が誤解した」「年配が昔の言い回しを使った」などと、単なる世代論にしてしまえば、それで終わりです。

 しかし、これは本質的に、「読み取り力」と「言い換え力」の差=言語能力の差が露呈した事例です。

  • 自分の発言がどのように受け取られるか
  • 相手の理解力を想定した表現ができるか
  • 文脈からズレたときに、気づいて軌道修正できるか

 これらができる人は、世代に関係なく、優れたコミュニケーターであり、一定水準を超えた言語能力を持つ人です。


終わりに:言葉とは「人間を人間として扱う行為」である

「8時10分前に集合」が誤解される社会は、言葉を軽視した社会です。
そして、「誤解したほうが悪い」「わからないほうがおかしい」と切り捨てる人は、言葉が届く相手を、人間ではなく無機質なキャラクター程度にしか見ていないのです。

だからこそ、私たちは今こそ思い出すべきです。

言葉は、人間と人間をつなぐ橋である。
その橋をかけるためには、相手の位置、足元、歩幅を想像しなければならない。

「伝えたのに伝わらなかった」と嘆く前に、自分の言葉がどう受け取られるかを見直す。
その一歩が、日本語に限らず、あらゆる言語において、真のコミュニケーション能力の始まりなのです。