はじめに:言葉は「通じる」ものだと思っていませんか?
「何度も言ってるのに、なんでわからないの?」
「ちゃんと説明したよね?」
「話せば伝わるでしょ?」
…そんな言葉を、日々のお子さんとの会話の中で、思わず口にしていませんか?
そして、言ったのに通じない、伝えたのに反応がない。そんな子どもの様子に、イライラしたり、不安になったりしていませんか?
子育てにおいて、保護者はつい「言葉」に頼ります。話して聞かせる。説明して理解させる。説得して行動を促す。それ自体は間違いではありません。けれど、「言葉は万能だ」と思い込みすぎると、親子関係にすれ違いを生む危険性があります。
なぜなら、言葉は思っているほど“通じるもの”ではないからです。
本稿では、「話せばわかる」という幻想が、なぜ通じず、何をもたらし、どうすれば良いのかを、保護者の視点から深掘りしていきます。
第一章:「話したのにわからない」子どもに、何が起きているのか
保護者が「ちゃんと説明したのに」と感じる場面。
それでも子どもが、思ったように行動してくれない。まったく別のことをしている。返事をしても反応が乏しい。
このようなとき、親の多くは「わざとやっている」「だらけている」「なめられている」といった怒りや不信感を抱きます。
しかし実際には、子どもは“わかっていない”だけということが多くあります。
● 「聞いた」≠「理解した」
子どもは、親の言葉を聞いています。でもそれは「音声として耳に入っている」というレベルに過ぎないこともあります。
- 語彙がわからない
- 文の構造がつかめない
- 前提知識が共有されていない
- 説明の意図がピンと来ていない
つまり、親が「説明したつもり」でも、子どもの中では情報が“点”のまま、つながらないのです。
たとえばこんなやりとりがあります。
親「明日までに図工の材料を用意してね」
子「うん」
→ 翌朝、何も持っていない。
親からすれば、「昨日ちゃんと言ったよね?」となりますが、子どもは
- “図工”の意味が曖昧(授業の順番を把握していない)
- “材料”が何を指していたかを忘れている
- “明日まで”という期限の感覚が弱い
というように、「情報の理解」と「記憶」と「行動」がうまく連動していないだけかもしれません。
● 「言葉の理解」は年齢と共に育つもの
小学生の段階では、文脈理解力や抽象的な説明の処理能力がまだ未発達です。特に小学1〜4年生くらいまでは、「なんで?」「どうして?」と聞いても、「わからない」と返ってきたり、曖昧な返答しか返ってこないことがよくあります。
また、「話の途中で別のことを考えていた」「自分に関係ないと思っていた」ということも、珍しくありません。これは子どもにとってごく自然な認知の流れであり、意図的な無視ではないのです。
第二章:「通じない」ことへのイライラが生む悪循環
「言ったのにやらない」「聞いてないの?」「また同じことを…」
そんな状況が続くと、親の側も当然ストレスがたまります。
ですが、この「通じないことへのイライラ」こそが、親子関係の悪循環を生む要因となります。
● 子どもは“怒られた”という事実しか残らない
たとえば、宿題を忘れていた子に対して、こう言ってしまうことがあります。
「ちゃんと昨日言ったよね?何でやってないの?!」
「忘れ物しないようにって毎日言ってるじゃん!」
このとき、親の頭の中には「自分は説明している」「理解させようとしている」という意識があります。
でも、子どもにとってはどうか。
- 「怒られた」
- 「怖かった」
- 「また嫌な気持ちになった」
といった「感情」だけが先に記憶され、肝心の「伝えたい中身」や「なぜそう言われたか」は、頭に残らないのです。
● 怒られると、理解よりも“防衛”が優先される
脳の発達段階において、子どもは強い刺激を受けると、防衛的になりやすいという特徴があります。
これは本能的な反応であり、怒られると「ごめんなさい」と謝るのは、理解したからではなく「その場をしのぐための反射行動」であることも少なくありません。
つまり、「理解したように見える言動」=「理解した」ではないのです。
こうして、「わからない → 怒られる →防衛 →さらにわからなくなる」というループができてしまいます。
● 保護者が“自己否定感”に陥ることも
「こんなに説明しているのに、何で伝わらないんだろう」
「私の言い方が悪いのかな」「親として向いてないのかも…」
伝わらない状況が続くと、親自身が自信を失い始めることがあります。
一方で、逆に「何度言ってもわからない子が悪い」と子どもを責める方向へ傾くことも。
どちらにしても、親も子も苦しくなってしまいます。
第三章:「言葉だけでは伝わらない」と知ることが、解決の第一歩
では、どうすればいいのでしょうか?
まず最初に必要なのは、「言葉は万能ではない」という事実を受け入れることです。
そして、「どう伝えるか」を工夫する方向に意識を向けることです。
● 視覚・体験・共有で“言葉”を補う
以下のような手段は、言葉以上に子どもの理解を助けてくれます。
✅ 一緒に確認する
- 「明日の準備できた?」と聞く代わりに
- 「一緒にランドセル見てみようか」
- 実際に行動に移して確認することで、“抜け”や“思い違い”が発見できる
✅ 見える化する
- 「やること」をリストにしてホワイトボードや紙に書く
- 「今どこまでやったか」をチェック式で把握できるようにする
- 順序や時間の見通しが持ちやすくなる
✅ 場面を再現する(ロールプレイ・例え話)
- 「授業中に立ち歩いたらどうなる?」
- 「お店で静かにできなかったらどう感じる?」
- 実際の行動に置き換えて話すことで、想像しやすくなる
● 子どもにとっての“わかる形”を探す
伝えたのに伝わらない時、親は「言い方を変えてみる」より「繰り返す」方に走りがちです。
でも、同じ言葉を何度も繰り返しても、子どもがその意味を捉えられていなければ、伝わることはありません。
だからこそ、
- 子どもが“どう捉えているか”を観察する
- 伝えたあとに「今どう思ってる?」「何がわかった?」と聞いてみる
- 「通じなかったのは子どもが悪い」のではなく、「通じなかった形を修正する」という視点を持つ
この姿勢こそが、言葉以上の“伝わる力”を育てていくのです。
第四章:「伝わる親」になるための、具体的な家庭での工夫
「話してもわからない」ではなく、「どうしたら伝わるか」を意識するだけで、親子の関係は大きく変わります。ここでは、日常でできる実践的な工夫をご紹介します。
● 1ステップずつ、短く具体的に伝える
親の言葉が伝わらない最大の理由の一つは、情報量が多すぎることです。
✕「帰ったらすぐ手を洗って宿題して、それからピアノの練習してよ」
○「まず、手を洗おう。そのあとは宿題ね」
一度に複数の指示を出されると、子どもは“最初のことしか覚えていない”ことがよくあります。伝えたいことを小分けにして、順番に伝えるようにしましょう。
● 目を見て、名前を呼んでから話す
子どもがテレビを見ていたり、本を読んでいたりするときに「〇〇して」と言っても、ほとんど届きません。
まず、視線を合わせて注意を引き、「〇〇くん、ちょっといい?」と呼びかけてから話すと、理解率が飛躍的に上がります。
● 行動の後に振り返る時間を作る
言葉で伝えた後に、「さて、今の話をどう理解した?」と確認する時間を作ることも効果的です。
- 「今の話、どう思った?」
- 「これからどうするつもり?」
子どもの中で“情報を整理する時間”を確保することで、「理解」から「行動」へのステップが滑らかになります。
● 一緒に行動しながら教える
とくに小学生のうちは、実際に体を動かしながら覚える方が効果的です。
「机の上を片付けて」と言うよりも、親が一緒に片付けながら「鉛筆はこの箱に入れるんだよ」と示す方が、記憶にも残りやすく、行動も身につきます。
第五章:言葉だけに頼らない子育てへ──“伝える”から“伝わる”へ
親にとって、言葉はもっとも手軽な教育手段です。
でも、言葉は万能ではなく、伝わる保証もないという事実を受け止めることで、親の関わり方は大きく進化します。
● 「伝えた」より「伝わったか」
子どもができなかったとき、「なんでやってないの!」ではなく、「どうしてできなかったんだろう?」と一緒に振り返ってみる。
その姿勢が、子どもにとって「理解してくれる親」「信頼できる親」として伝わります。
● 子どもの理解には“個人差”がある
- 耳からの情報を覚えるのが得意な子
- 見て覚える子
- 実際にやってみないとわからない子
同じ説明でも、響く形は子どもによって違います。
だからこそ、「この子にとって一番伝わる方法は何か?」を模索し続けることが、最善のサポートになります。
● 言葉が届くようになるには時間がかかる
すぐに通じることを求めてしまうのは、大人の都合です。
子どもはゆっくりと、少しずつ、経験を重ねながら言葉の意味や社会のルールを学んでいきます。
「時間をかけて育てる」ことを前提に構える。
それだけで、親の心にも子どもの心にも、余裕が生まれます。
第六章:「通じる」だけでは足りない――“言葉で考える力”を育てる意義
ここまで、「言葉は通じないことがある」「言葉だけでは伝わらない」ことの現実に焦点を当ててきました。
しかし、もう一つ忘れてはならない大切な視点があります。
それは、「言葉で受け取り、言葉で考える力」こそが、子どもにとって将来的な武器になるということです。
● 非言語で伝えるだけでは、成長の限界が来る
確かに、小学生のうちは「見せて教える」「一緒にやって見せる」「手を添えて導く」といった関わりが必要です。
けれど、そればかりに頼り続けると、「自分の頭で言葉を使って考える」「人の話を聞いて論理的に理解する」といった力が育ちにくくなります。
子どもが成長するにつれ、言語的な理解と表現が必要な場面は格段に増えます。
- 授業での説明理解
- テストでの記述問題
- 友人関係での誤解やトラブルへの対処
- 社会に出た後のコミュニケーション、報告、相談、交渉…
つまり、言葉で考えられない子は、社会に適応する力に限界が出てくるのです。
● 「わからないまま済ませる」癖が、学力を止める
言葉を使って物事を理解したり、質問したり、説明したりする力は、学力の中核です。
「わからない」を放置する子
「話を聞いても、どこが大事かわからない子」
「問いに対して、適切に答えられない子」
こうした子は、学年が上がるほどに“学習のつまずき”が深刻化していきます。
● 支援しつつ、言葉で理解しようとする姿勢を育てる
だからこそ、伝え方を工夫するのは大切です。
でも同時に、最終的には「言葉で理解できる子」を目指す必要があるのです。
たとえば、
- わからなかったときに「どういう意味?」と聞く練習をさせる
- 話の内容を「自分の言葉で説明する」トレーニングを重ねる
- やりとりを、丁寧な文章で表現してみる
このように、日常の中で「言葉による理解」と「言葉による表現」の力を伸ばしていくことが、子どもの“将来の地力”を支える親の役割でもあります。
まとめ:伝わる工夫は大切。でも、最終的に“言葉で考える力”を育てなければならない
子どもに伝わらないとき、親はつい焦ったり、怒ったり、諦めたりしてしまいがちです。
しかし、「話せばわかる」という幻想に頼るのでもなく、「通じないから言わない」と投げてしまうのでもなく、今その子に届く方法を模索しつつ、言葉で考える力を“育てる”ことが最も大切です。
非言語的に伝えることは、必要な支援であり、優しさでもあります。
けれどそれが続くだけでは、子どもの言語的な理解力や論理的思考力は育ちません。
言葉にできない子どもを見て、「わからないから仕方ない」とあきらめるのではなく、
「どうしたらこの子が言葉で理解し、言葉で表現できるようになるか」を考え続ける。
その姿勢こそが、
- 子どもの「考える力」を育て、
- 「自分で判断する力」を育み、
- 「自立して社会で生きる力」へとつながっていきます。
“伝える”の先に、“考える”を育てる。
それが、「親が子に残せる最も大きな教育」なのかもしれません。