「うちの子、計算はできるんですけどね。文章題が苦手で…」
教育現場では、親からこの言葉を聞く機会が非常に多くあります。
一見、「計算力はあるのに、ちょっと読解が弱いだけ」と軽く受け止められがちですが、これはきわめて本質的な問題をはらんでいます。
結論から言えば、このような子どもは「計算が“できている”のではなく、“それっぽく書いているだけ”」の可能性が高く、
言い換えれば、
文章題が解けない=計算も本質的にはできていない
という深刻な状況にあるのです。
■ 計算は、文章題から始まる
小学校の算数において、計算の導入は常に「文章題」から始まります。
たとえば、
家にりんごが2こありました。お母さんが3こ買って帰ってきました。全部でいくつ?
という場面で、はじめて「2+3=5」という足し算の概念を学びます。
掛け算、割り算、小数、分数、いずれも同様です。
「1つ分がいくつで、それが何こある?」という文章から、
→「3×4=12」のような計算式を導き出します。
つまり、計算とはそもそも、文章(場面)から生まれたものであり、文章が“土台”なのです。
■ 計算ができるのに文章題ができない?その正体は「作業の暗記」
計算だけが得意な子の多くは、
- 手順(筆算の形)
- 数のパターン
を「作業」として暗記しており、
その計算がなぜ行われているのかという意味をまったく理解していません。
その証拠が、
0.5 × 0.3 = 1.5 という誤答です。
この計算は、1未満の数を掛けているのに、なぜか答えが大きくなるという明らかな間違い。
こうした誤答が出る背景には、
- 小数という“数の大きさ”の理解が欠如している
- ×(かけ算)の意味が「数字を並べる記号」程度にしか捉えられていない
という、計算の根本的な理解不足が潜んでいます。
しかも、同じ子が別の問題では正解したり、不正解だったりする(0.5×0.3=0.15 と書けるときもある)ことがよくあります。
これはまさに、
“計算式をあてずっぽうで書いている”
ことの表れです。
■ 文章題ができない=言語力が決定的に不足している
文章題とは、
- 情報を読み取る
- 関係を整理する
- 数量に置きかえる
- 式に変換する
という「思考と言語化の総合演習」です。
これができないということは、
「問題の意味がわからない」
という状態に近く、そもそも“計算”にたどりついていないことが多いのです。
つまり、文章題ができないというのは、
- 数学的な思考力が足りないのではなく
- 日本語力(理解力・表現力)が足りていないという問題。
そして残念ながら、こうした言語力の不足は、
親自身にもあるケースが少なくありません。
親が「計算できるならOK」と考えてしまうことで、
- 言葉を理解して考える力が育たず
- 思考が“空っぽの作業”になっていく
という、極めて危険な状態に陥ります。
■ どうすればいい?:対応と改善策
◉ 「ことば」と「意味」に立ち戻る
- 計算の前に、場面を想像する
- 式を立てたあとに「どういう意味?」と聞く
- 0.5×0.3 のとき「0.5って何?」「0.3って何?」と立ち止まる
→ 数の意味、記号の意味を言葉で説明する練習が不可欠です。
◉ 日常会話から「数量と言葉をつなぐ」習慣を
- 「ケーキ2つあるけど、3人で食べるならどうする?」
- 「リンゴは1つ150円。3つなら?」
→ 普段の生活が、最高の文章題トレーニングになります。
◉ 説明を求める問いかけを習慣に
- 「なんでそう思ったの?」
- 「どうしてそう計算したの?」
- 「この式の意味はなに?」
→ 正しい答えより、考え方の過程と言語化に価値を置く姿勢が重要です。
■ まとめ:計算ができる=考えられるではない
「文章題が苦手で…」は、実は思考力・言語力の深刻な欠如サインです。
そして、文章題が解けない子は、計算さえ“理解して”行っているとは言えません。
子どもの学びの本質は、**「ことば」で考え、「ことば」で理解し、「ことば」で説明する」**というサイクルの中にあります。
早期計算よりも、英語よりも前に、
“言葉で考える力”を育てることが、すべての学力の土台になる。
この視点を親が持てるかどうかが、子どもの未来を左右します。
今こそ、“文章題ができない”という言葉の裏にある本当の課題に、気づいてほしいのです。