「苦手を認める」ことが学びの第一歩になる──保護者としての正しい関わり方


はじめに:勉強だけが“例外”になっていないか?

「集中して話を聞くことが苦手」「きれいな字を書けない」
こうした注意を受けたことのあるお子さんは少なくありません。ところが、これに対して「いや、集中していました!」「これは自分にとってはきれいな字です!」と反論する場面もよく見られます。

そして、その反論に対して親が「うちの子なりに頑張っているんです」と擁護してしまうことも少なくありません。

しかし、残念ながらこの考え方と行動は、学びの本質から外れたものであり、改善の芽を摘んでしまうものです。


苦手を認めることが、すべての始まり

勉強に限らず、スポーツの世界では「苦手を認める」ことが当たり前のように受け入れられています。

たとえば、サッカーでシュートが苦手な選手がいたとします。
その選手は、

  • ゴール前での判断を慎重に行ったり、
  • 得意なパスに切り替えたり、
  • 苦手を克服するために反復練習を重ねたり、

といった具体的な行動をとります。

これは、「自分はシュートが苦手だ」という自覚があるからこそ、できる判断であり行動です。

つまり、苦手を認識することが“第一歩”であり、
その先に改善の努力(第二歩)と、成長や成果(第三歩)があるのです。


なぜ勉強になると、それができないのか?

一方で、勉強になると「自分はできているつもり」で終わってしまう子が非常に多く、そしてその“つもり”を親が肯定してしまうことすらあります。

  • 字が雑で注意されたのに、「これが自分の普通」と受け止める
  • 話を聞けていなかったのに、「ちゃんと聞いてた!」と主張する
  • 集中が切れていたのに、それを否定する

こうした態度は、学習における成長の入り口(=苦手を認めること)を完全に閉ざしてしまいます。


本当に大切なのは「苦手を認めたその後」

ここで誤解してほしくないのは、「苦手を認める=劣っている」という話ではありません。

むしろ、

  • 「自分は集中力が続かない」と自覚できた子は、
    • 集中が切れた瞬間に立て直そうとする力を持てます
  • 「字が雑になりやすい」と気づけた子は、
    • 書くときに丁寧さを意識する習慣が育ちます

このように、「自覚→調整→改善」というサイクルを回すことで、
子どもたちは“自分で伸びていける人”になっていくのです。


保護者の役割は「擁護」ではなく「認知の手助け」

子どもが苦手を指摘されたとき、親がすぐに擁護してしまうと、
子どもは「自分はできている」と錯覚し、改善の必要性を感じられなくなります。

大切なのは、

  • 「今はそれが苦手なんだね」と認めてあげること
  • 「じゃあ、どうしたらよくなるかな?」と一緒に考えること

苦手を“隠す”のではなく、“直視する”こと。

それを自然にできる子どもに育てるには、
まず大人がその姿勢を見せる必要があるのです。


まとめ:「苦手」を受け止めることが、最初の成長

  • 苦手を否定せず、まず受け入れる(第1歩)
  • 改善のための具体的な行動に移す(第2歩)
  • 少しずつ結果がついてくる(第3歩)

この3つのステップが、勉強に限らず人生における成長の基本です。

保護者がそれを認め、支える姿勢を持つことが、
子どもにとって何より大きな学びの後押しになります。

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