◆ 書き間違いよりも気になる反応
ある日、小学6年生の国語の授業で、「では」と書くべきところを「でわ」と表記した児童がいました。
先生は気づき、その子に優しく問いかけます。
先生「今書いた文章に間違いがあります。わかりますか?」
生徒「……」
先生「少し難しいですか?」
生徒「DEWA が違います!」
先生「どう違うのかわかるかい?」
生徒「WAが違います」
先生「説明になっていませんね。どこがどのように違うのですか?」
生徒「わかりません」
誤字の内容としては決して珍しいものではありません。助詞「は」「へ」「を」の仮名遣いに関する混同は、小中学生でもしばしば見られます。特に「でわ/では」は音だけ聞いて書くと間違えやすく、多くの先生が過去に一度は目にしているでしょう。
今回、先生が重視していたのは「間違いを指摘する力」ではありません。
間違いにどう向き合い、自分の言葉で考え、説明しようとする姿勢があるかどうか。そこにこそ指導の意味があると考えていました。
しかし、児童の反応は早くも「わかりません」の一言。
話を掘り下げる前に、思考が止まってしまいました。
その瞬間、先生の心に浮かんだのは、誤字よりも深い懸念でした。
「子どもたちは、説明しようとする力を失いつつあるのではないか」──。
◆ なぜ「説明」ができないのか
国語の授業や日常会話において、「説明する」力はとても大切です。
にもかかわらず、次のような傾向が年々強まっているように感じる先生方も多いのではないでしょうか。
- 「正解」を言えなければ、何も言わなくなる
- 「説明してごらん」と言われると固まる
- 自分の言葉で整理することを避ける
文部科学省が行った全国学力・学習状況調査では、「説明型の記述問題」の平均正答率が小学生で30%を切っていることが明らかになっています。
つまり、説明を求められた瞬間に戸惑い、沈黙してしまう子どもたちは決して少数派ではないのです。
これは能力不足というより、説明を通して考える習慣の未形成を示しています。
「教えられたことを覚える」場面が多く、「なぜそうなるのか」を言語化する場面が少なければ、当然の帰結とも言えます。
また、「正解を言わなければいけない」というプレッシャーが強いと、“間違えるくらいなら何も言わない”という防衛的な態度が身についてしまうのです。
◆「思考を止める子」にどう向き合うか
「わかりません」で会話が止まる子に対して、大人はどんな対応ができるのでしょうか。
以下に、現場でできる具体的なアプローチを紹介します。
①「わかりません」は出発点にする
まずは、「わからない」と言った瞬間を“終わり”ではなく“スタート”にする雰囲気づくりが必要です。
「そうか、じゃあ一緒に考えてみよう」
「どうしてそう思ったのか、少しでも教えてもらえる?」
「ほかに書いたことがある子、手を挙げてみよう」
「わからない」という言葉を出すこと自体は悪くありません。
ただ、それで止まらずに考え直す習慣を育てることが大切です。
② 正解ではなく「仮説」を求める
「どうしてそう思ったの?」という問いの代わりに、
- 「そう書いたとき、どんなことを考えてた?」
- 「書く前に、頭の中でどういう音が聞こえてた?」
など、プロセスを引き出す質問に変えると、子どもは答えやすくなります。
正解を求めるのではなく、思考の筋道や仮説に光を当てましょう。
③ 話すことより「聞く力」を伸ばす
実は、「説明が苦手」な子の多くは、「他者の説明を聞く経験」が不足しています。
先生や友達がどうやって言葉を選んでいるのかを、丁寧に聞き取る場面が増えれば、自然と話し方にも変化が出てきます。
- ペアトークで友達の説明を聞く
- 説明文の読み取りで「この人はどうやって説明してる?」と問う
- 説明のよかったところをクラス全体で共有する
こうした“説明を聞き取るトレーニング”は、話す力の土台となります。
◆ 言葉で考える力は、教科を超える
「でわ/では」の仮名遣いの誤りは、表面上はただの国語の話です。
しかし、自分の思考を言葉で整理し、人に伝えようとする力は、すべての教科や生活場面につながる本質的な力です。
- なぜこの計算式を使ったのか?(算数)
- どうしてこの人物は戦ったのか?(社会)
- 実験結果からどんなことが言える?(理科)
これらはすべて「説明力」の延長線上にあります。
子どもたちが「わかりません」で思考を止めてしまう背景には、
失敗を恐れる空気や、言語化に慣れていない環境があります。
その空気を変え、言葉で考えることを楽しめる場をつくるのは、大人たちの役目です。
◆ さいごに──「説明できる子」を育てるということ
「説明できるようになる」ことは、単なる知識の整理ではありません。
自分の理解を見直し、他者とつながる力の育成です。
もし子どもが「わかりません」と言ったら、
それは「考えたくない」ではなく「どう考えればいいかがわからない」だけかもしれません。
そんな時、大人は問い続けることで、思考の道筋を照らすことができます。
「どうしてそう思ったの?」
「言葉にしてみてごらん」
「間違ってもいいよ」
その一言が、子どもたちの思考を再起動させるきっかけになるのです。