「読書は国語力を高める」とよく言われます。しかし現場では、「たくさん本を読んでいるはずなのに、全然読解力が伸びない」という子にしばしば出会います。読んでいる内容を全く理解できていなかったり、自分が理解していないことにすら気づいていなかったりするのです。果たして、本当に読書をしていれば国語力は上がるのでしょうか?
1. “読む”と”理解する”は別物である
読書とは、ただ文字を目で追う行為ではありません。
しかし多くの子ども、そして大人も、「読む=理解する」と勘違いしてしまいます。 実際には、読解には以下のような複雑なプロセスが含まれています:
- 誰が、何を、なぜ、どうしたのかを把握する
- 段落ごとの主旨を整理する
- 行間を読み、言外の意図を推測する
- 内容を他人に説明できるほどに再構成する
つまり、読解とは“再構築”の作業であり、それには意図的な思考のトレーニングが必要です。読んでいるだけでそれが身につくと期待するのは、あまりに楽観的です。
2. 理解できていないことに気づけない人たち
問題は、「理解できていないこと」に気づけないことです。これは非常に根深い問題で、
- 自分の理解の浅さに無自覚
- 間違った解釈に自信を持っている
- フィードバックがあっても「感想の違い」程度に捉える
といった傾向が見られます。このような状態では、いくら読書しても読解力が育つことはありません。
では、「自分が理解していないことに気づけない」人には、どう向き合えばいいのでしょうか?
3. 気づかせることを学びの一歩にするべきか?
ここが最も難しいところです。「気づかせる」ことを第一歩とするのか、それとも「気づかなくても作業として型を覚えさせる」ことから始めるのか。
現場での実感としては、どちらも必要です。
(1) 型から入るアプローチ
- 要約の型:「この話は〇〇が〇〇して〇〇になった話です」
- 構造の型:「原因→結果」「問題→解決」
→ 自分の理解がずれていると、型にうまく当てはまらないことに本人が気づく
(2) 問いかけによる気づきの誘導
- 「この話の一番大事なところはどこ?」
- 「それはどうしてそう思った?」
→ 明確に答えられない経験を通して、“わかっていない”自覚が芽生える
重要なのは、“自覚”を責めず、“ズレ”を共に観察する対話です。
4. 解決への実践ステップ
以下の流れを意識することで、読書を「国語力を育てる活動」に変えることができます。
- 読書内容を口頭で説明させる(要約訓練)
- 短い文章を「型」に当てはめて整理させる
- 読み違いにフィードバックを与える(否定ではなく修正)
- 問いかけを通して“気づき”を促す
- それらを繰り返しながら、徐々に自力読解へ導く
読書はあくまでも“材料”に過ぎません。その材料をどう加工し、どう認識するかを支援することで、読解力は初めて芽を出します。
まとめ:読書は万能ではない
読書そのものには、確かに可能性があります。語彙の蓄積、文構造への慣れ、背景知識の獲得…。しかし、それらが思考・構造・表現と結びつかない限り、読解力は向上しません。
読書は道具であって、目的ではありません。大切なのは、「読みながら考えること」「考えたことを誰かに伝えること」。
理解できていないことに気づく力”こそ、読解の出発点。そこに気づけるように寄り添いながら、国語力の土台をつくっていくことが、私たち大人にできる最も重要な支援ではないでしょうか。