はじめに:「知っている前提」が通用しない現実がある
ある小学校6年生の男児が、学習中にカタカナの「し」「つ」「そ」「ん」「り」の書き分けができていないことが分かりました。
そこで「カタカナを50音表みたいに書いて」と促すと、
「50音表って何ですか?見たことも聞いたこともありません」
と答えました。
多くの大人にとって、50音表は当たり前に知っているものと感じられるため、「そんなはずはない」と驚くでしょう。
しかし、実際にこうした発言があることは、“知っている前提”がすべての子どもに当てはまるわけではないことを示しています。
「書き分けられない」「知らない」は、能力の問題とは限らない
「し」と「つ」、「そ」と「ん」、「り」の書き分けは、多くの子が一度は混同するものです。
これは学習のつまずきとしては決して珍しいことではなく、
- 指摘や矯正の機会が少なかった
- 違いを言語化して学ぶ場面が不足していた
など、経験や指導の差によるものが大きいと考えられます。
それでも「50音表を見たことも聞いたこともない」と言うときは
ただし、小学校6年生という年齢で「50音表を見たことも聞いたこともない」と答える場合、
これは単なる知識の抜けではなく、発達的・認知的な背景を疑うべきケースも存在します。
たとえば:
- 知的障害や境界知能:学習内容の定着が非常に遅く、日常的な知識が蓄積されにくい
- 自閉スペクトラム症(ASD):見たことはあってもラベリングができていない、あるいは抽象的な問いの理解が困難
- 学習障害(LD):表の構造や言葉と意味の結びつきに著しい困難がある
このように、「見ていない・知らない」という言葉の背後には、“理解していない・意味がわかっていない”という認知的困難が潜んでいる可能性があります。
保護者がすべきは、「できていないこと」への否定ではなく、理解の確認
「知らないなんてありえない」「そんなはずはない」と子どもの言葉を即座に否定してしまうと、
子どもは「本当のことを言っても信じてもらえない」と感じ、学びの意欲そのものを失ってしまうこともあります。
重要なのは、
- 本当に「知らない」のか?
- 「意味を理解していない」のか?
- 「知っているけど言語化できない」のか?
といった、認知の背景を丁寧に見極めようとする姿勢です。
まとめ:現実を受け止め、そこから支援を始める
- カタカナの書き分けや50音表の理解は、誰もが自然に身につくわけではありません
- 「知っていて当然」「できていて当たり前」という前提は、支援の目を曇らせます
- 大切なのは、「今できていない」ことを見つけたときに、それを起点に支援や見直しができる大人の姿勢です
子どもは“教えれば必ず伸びる”存在ではありません。
しかし、“理解されればこそ、安心して学べる”存在です。
今ここから、学び直しのチャンスを用意できること。
それが、子どもにとっての最良の支援となるのです。