― 思考の土台としての“言葉の力”を問い直す ―
1.噛み合わない会話が示すもの
「普通に話しただけなのに、まったく通じなかった」
「どうしてそんな答えになるの?こっちの言ってること、伝わってるのかな?」
近年、こうした“かみ合わない会話”に戸惑う大人が増えています。
一見、単なるやりとりのズレに見えるかもしれませんが、その背景には子どもたちの「ことばの力」の変化が関わっていると感じる場面が多々あります。
ここでは実際にあった3つの会話例を通して、私たちが今向き合うべき課題を明らかにしていきます。
■ ケース1(小学6年生)
先生:「今日は雨だったけど、何で来たの?いつも通り自転車?」
生徒:「いいえ、傘で来ました。」
このやりとり、何か違和感を覚えませんか?
先生の質問の意図は、「自転車ではなく徒歩で来たのか?」ということ。つまり、「移動手段」について聞いています。
しかし子どもは「傘で来ました」と答えました。
ここで子どもが捉えているのは「何を持ってきたか」という“持ち物”の話にすり替わっています。
なぜこのようなズレが起きるのか?
背景には、質問の焦点を“全体の文脈”ではなく、直近の単語にだけ反応しているという特徴があります。
言葉は聞こえているのに、「意味」はうまくつかめていない状態です。
■ ケース2(中学2年生)偏差値50
先生:「テスト範囲表と年間予定表が配られたらコピーしたいので、持ってきてもらえる?」
生徒:「わかりました。コピー用紙持ってくればいいんですか?」
この場面も、言葉としては“答えている”ように見えますが、内容は噛み合っていません。
先生は「配られたプリントを見せてね」と伝えたいだけ。コピー自体は先生が取る予定です。
ところが子どもは、“コピー”という単語だけに反応して、「コピー用紙を持ってくるべきだ」と解釈してしまいました。
以降もやりとりは迷走を続け、
- 「コピー用紙は要らない」→「じゃあ何を持ってくれば?」
- 「プリントを持ってきて」→「どこでコピーすれば?」
と、“全体の意図”をつかめないまま、言葉尻だけで反応し続ける状態に陥ります。
■ ケース3(中学3年生)偏差値48
先生:「次来るとき、数学用と英語用、それから練習用で、ノート3冊持ってきてね。」
生徒:「わかりました。」
この時点では順調に見えますが、このあと質問が続きます。
- 「ノートって何でもいいんですか?」
- 「どういうことですか?」
- 「授業とワークでノートが違うんですけど、どっちを持ってきたら?」
- 「ノートの種類ってどういう意味ですか?」
- 「数学は数学のノートです」……
このやりとりから浮かび上がるのは、「種類」という言葉の意味がつかめていないことです。
先生が聞いているのは、「ノートの仕様(罫線・ドット・方眼など)」を尋ねているのに対し、子どもは「教科や用途の違い」で答えています。
しかも、先生がそのことを何度説明しても、言葉の焦点がすれ違ったまま戻ってこない。
このケースでは、「質問の意図を推測し、答える方向を修正する」という力が機能していないことが分かります。
つまり、やりとりの“背景”を組み立てる思考のプロセスが止まっているのです。
■ 3つの事例に共通するのは
これらは、勉強の苦手な子どもたちに限った話ではありません。
表面的には普通の会話ができているように見えても、「聞く」「考える」「理解する」「応答する」という一連の言語的処理の流れがうまくいかない子どもたちが、以前より増えている印象があります。
そしてこの問題は、「コミュニケーションが下手」という一言で片付けられるような話ではありません。
なぜなら、言葉を使ったやりとりは、思考そのものの土台だからです。
2.言葉は“思考の器”である
(1) 文脈をまとめる力が弱い
上記の子どもたちは単語は聞き取れています。しかし――
- 情報を階層化(主訴と補足を切り分ける)
- 目的を抽出(何のために、を把握)
- 推論して補う(言外の前提を読み取る)
――これらの言語処理の上位スキルが働きにくいのです。
結果、会話の細部ばかりを拾って堂々巡りが起こります。
(2) 思考も学力も“ことばの器”以上に広がらない
計算や暗記はパターンで解けても、
文章題・記述問題・授業の説明――
複数の事実を言葉で再構築するタスクになると一気に壁にぶつかる。
“言葉の器”が狭いと、思考の材料を並べ替えて理解する作業そのものが苦痛になるからです。
3.なぜ今、ことばの土台が揺らいでいるのか
- 断片情報に慣れた生活
- SNS・短尺動画:ワンフレーズで理解した気になれる
- 家庭内の会話量の減少
- 共働き・個室端末化で「雑談」の絶対量が不足
- 学校授業の“時間的圧縮”
- 教科書消化に追われ、対話型指導が割かれがち
- 発達特性の顕在化
- ASD・LD傾向の子の在籍数増と支援の過渡期
これらが複合し、「読む・聞く・話す・書く」を往復する経験 が薄まりつつあります。
4.子どもの“言葉の力”を底上げする3ステップ
STEP 1 「一緒に再言語化」する習慣
- 親「先生が言っていた“○○”って、結局何をして欲しいってこと?」
- 子「えっと…テスト範囲を…」
- 親「そうだね。“提出するために、まず持って行く”ってことだよね」
メタ言語的に言い換える作業を親子で行うと、指示の構造をつかむ訓練になります。
STEP 2 “やりとり”型の読書・音読
- 絵本やニュース記事を段落ごとに要約して言葉で返し合う
- 「誰が」「何を」「どうした」を意図的に整理させる
これにより、文章→頭の中のモデル化→口頭出力の回路が強化されます。
STEP 3 アナログなメモ・図解を復活させる
ICTツールは便利ですが、手で書き、図で整理する行為が前頭前野を刺激し、
「情報をまとめ直す言語運用」を促します。
ワークシートやホワイトボードの活用は古典的で最強の方法です。
5.保護者・教育者が意識したい“3つの視点”
- 「伝わらないのは努力不足」ではなく「器不足」の可能性
- 小さな会話のズレを“学力のSOS”として捉える
- テストより日常対話――点数より会話のラリー数を増やす
学習支援の現場で伸びる子は、成績以前に**「やり取りが深まる子」**です。
つまり、言葉で考えを往復させる経験が増えた瞬間に、学びのギアが入るのです。
6.まとめ:言葉は“学びのインフラ”
計算力も暗記力も、
最終的には言葉で思考をメタ化する力に統合されます。
- 指示を“全体”として受け取る
- 足りない情報を推論で補う
- 自分の言葉で再構築して伝え返す
この循環が回る子は、どの教科でも伸びやすい。
逆にここが詰まれば、どの教科も伸び悩みます。
学力以前の問題として、“言葉の器”は今こそ問い直されるべき――
私たち学習支援者が現場で痛感している、切実な課題です。
家庭での雑談、学校での対話活動、塾・オンライン学習でのフィードバック……。
大人が意識的に“言葉のキャッチボール”の場面を増やし、子どもの器を少しずつ広げること。
それが、テストの点では測れない“思考の土台”を育てる第一歩になるのではないでしょうか。
◎付録:すぐに使える簡易チェックシート
観察ポイント | YES/NO | 気づきメモ |
---|---|---|
指示の要約を自分の言葉で返せるか | ||
「なぜ?」と聞かれたとき、理由を二文以上で説明できるか | ||
問題文を読んだあと、設問を言い換えて確認する癖があるか |
ご家庭や教室でご活用ください。さらに詳しいワークシートが必要な場合は、学伸エンジンまでお気軽にお問い合わせください。