読解練習:わたしが壊したのではないかという問い【Lv.15|番外編:親の視点】
1年前、子どもが学校に行けなくなった。
それは突然のようで、思い返せば何度もサインはあったのだと思う。
眠れない日が増え、口数が減り、目をそらすようになっていった。
それなのに私は、「大丈夫?」「なんかあった?」と、表面的な言葉ばかり繰り返していた。
本当は、ちゃんと気づいていたのだと思う。
でも、怖かった。踏み込んだら、自分が親として失格だと認めてしまう気がして。
「うまく聞いてあげられない」「励ましが全部ずれてる」
そんな自分に直面するのが、怖かった。
あの子の目から光が消えていくのを、私は見て見ぬふりをしていた。
「また明日行けるよ」「気分転換に出かけようか」
そう言って、わたしが守っていたのは、この子じゃなくて、自分だった。
いまも一日中部屋にこもっている。
声をかけても返事は少ない。でも、ふとした瞬間に聞こえる音楽や、小さく笑う声に、かすかな命を感じる。
だけど、こんな日々のなかで、私は何度も「この子の今は、わたしが壊したんじゃないか」と思ってしまう。
「あなたは悪くないよ」と誰かに言われると、少し楽になる。
でも、同時に「わたしは逃げてないか」とも思ってしまう。
本当にこの子を守りたいなら、私はもっと「向き合う」べきなのではないか。
わたしの問いには、まだ答えがない。
それでも、この問いから目をそらさないことが、
この子にできる、今のわたしなりの誠実さだと思いたい。
◆ 問題
- 筆者が「自分が壊したのではないか」と感じる理由には、どのような背景がありますか?
- 「守っていたのはこの子じゃなくて自分だった」という言葉には、どのような気づきが含まれていますか?
- 「向き合う」とは、筆者にとってどのような行動や姿勢を意味していると思いますか?
- あなたがこの親の立場なら、「誠実であること」とはどのようなあり方だと考えますか?
◆ ポイント
- 親としての「罪悪感」が、過去の出来事や言葉をどう変えて見せるかに注目する。
- 他者への誠実さと自分への誠実さがどう結びつくのかを考察する。
- 答えの出ない問いに向き合い続けるという営みそのものの価値を捉える。