■ はじめに:「おくれました」だけで済ませる子どもに、あなたはどう感じますか?
ある日の授業。遅れてきた小学生が、ドアを開けて発した言葉は「おくれました」。
正確には「ぉれしぁ」くらいの小さな声。そこに「すみません」も「ごめんなさい」もありません。理由や事情を語る姿もありません。
【子どもだから言葉が足りないのか?】
【恥ずかしくて言えないだけなのか?】
そう思いたいところですが、実はそれだけではない深刻な問題が潜んでいました。
■ 1. 謝罪の言葉が「出てこない子ども」が増えている
● 事例①:トイレに行くふりをして授業を回避
数日続けて、授業中に何度もトイレに立つ子どもがいました。毎回5分以上戻らず、状況を確認したところ、本人は「おなかが痛い」とは言ったものの、実はそうではなく、授業から逃げたかっただけ。
それを本人も認めた。しかし――「ごめんなさい」は一度も口にしなかったのです。
● 事例②:指示と違う行動を何度も繰り返す
授業中の活動で、こちらの指示とは全く異なることをしていたその子。数回の注意にも従わず、最終的にはこう言いました。
「何をしたらいいのかわかりませんでした」
…つまり、「自分は悪くない」というメッセージ。
謝罪ではなく、責任の所在をすり替えるための発言です。
■ 2. 謝らない子どもの心理構造とは?
こうした子どもに共通しているのは、「反抗的」というよりも、謝る意味すら理解していないという根本的な問題です。
● 【謝罪=敗北】という誤った認識
謝ることで自分が劣っていると思われるのが怖い。
だから、謝ることが“自分を傷つける行為”だと無意識に思い込んでいる。
● 他者の感情が“見えない”
「迷惑をかけた」「困らせた」といった相手の感情を想像することができない。
→ だから謝罪の必要性に気づかない。
● 謝罪の“効果”を知らない
- 謝れば関係が修復される
- 謝れば相手が安心する
→ そういった社会的意味を理解できていない。
これは、単に言葉を知らないのではなく、社会的・感情的な想像力の未発達によるものです。
■ 3. 自己肯定感の高さではなく、「自己中心感覚」の歪み
「悪くない」と言い張る、あるいは無言でやり過ごす――。
一見すると自己肯定感が強すぎるようにも見えますが、実際はその逆です。
本当の自己肯定感とは、自分の非を認めてもなお、自分を大切にできる力。
この子が持っているのは、
【自分が間違えたらすべてが終わるという防衛本能】です。
謝れないのは、「悪い自分」を認めることができない脆弱さであり、
言い換えれば「謝る力」がまだ育っていない未発達状態なのです。
■ 4. このまま放置するとどうなるか?
このような子どもが小学校高学年になっても変わらないまま進級すれば…
- 中学校では人間関係のトラブルを招く
- 社会に出れば、自己責任を回避し続ける人物になる
- 大人になっても、謝罪できず孤立する人間になる可能性が高い
たとえ非行に走らなくとも、社会で信頼関係を築けず、「扱いづらい人」として敬遠される未来が待っていることは容易に想像がつきます。
■ 5. 今、私たち大人にできること
謝らない子どもに対して、「謝りなさい!」と叱っても意味はありません。
彼らには【なぜ謝る必要があるのか】が分かっていないのです。
● ●ポイント1:「謝罪」の機能を具体的に教える
- 謝るとどうなるか
- 謝らないと相手がどう感じるか
→ 「ごめんなさい」が人と人をつなぐ言葉だと教えること
● ●ポイント2:「謝る練習」を場面設定して教える
- 「こんなとき、何て言えばいいかな?」
- 「もし逆の立場だったらどう感じる?」
→ ロールプレイで謝る習慣を体に覚えさせること
● ●ポイント3:「相手の気持ち」に目を向けさせる
- 「先生はどう思ったかな?」
- 「〇〇くんは嫌な気持ちにならなかったかな?」
他者の視点を育てることで、謝るきっかけが自然と生まれていきます。
■ おわりに:謝れる子どもは、必ず社会性を育てられる
「謝る」という行為は、ただのマナーではありません。
それは【自分の非を認める勇気】【相手を思いやる視点】【関係を修復する力】です。
謝らない子どもを見て、「反抗的」とか「性格が悪い」と決めつける前に、
なぜその言葉が出てこないのかを見つめ直す必要があります。
「謝れない子」は、「謝る言葉と意味を知らない子」。
だからこそ今、大人がその手を差し伸べなければなりません。
それが、【子どもが未来に人としてつながる力を育むための、第一歩】なのです。